ヨシキとかいう人が1000万円寄付しただのなんだのの話があって、

そういうので毎回思うのが、

ゼニ金で何でも解決出来るものと勘違いしているのか?

幾ら金を積もうが、紙の山が積まれてるだけでは、死者が蘇るわけでもない。

死者蘇生

 

別の設備やら、別の人材やらは、金で調達出来るかもしれないが、

死者が蘇れない以上、同じ感性の人が作るわけではない。

別の人に同じものは作れない。

交通事故死の遺族なんかもそうだけど、

歯には歯を、目には目をであるように、

金には金を、命には命をで、

等価交換として贖われるだろう。

金と命は字で見ても同じなのは画数くらいで、中身の作りが違うのは瞭然。

 

一個人の貯金なんてゲームの一つ、個人を示す一つのベクトルにしか過ぎない。

そりゃ、自分もゲームはクリアしたいよ?

しかし、人生の中に内包されている、金集め(ゲーム)如きが、命と釣り合うっていう考え方はどうなんでしょう。

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