ホーム生活>2022/4/7

”評価”を得ることが個人的に苦手な理由

もう少しすると、夏ボーナスの評価の話が出てくる

昼間の会社での唯一の不満が、この評価、というものの存在そのものだったりする

評価の対になるものとして実績という言葉があるけど、実績は自分個人でいうと貯金額であったり入賞結果であったり人の感情が絡んでこない無機質な数値である反面、評価はAだのCだのつけるのに他人の感情が結構絡んでくるというかモロに人の感情のそのもので評価をする人の一存で良くも悪くもなってしまうし、

評価は実績と違って、取り組む姿勢の見せ方みたいなのが重視される

 

実績だとスポーツでも貯金関連でも半分よりは上になるから楽しい(上になるように調整するか、どうしても無理なことは辞める)けど、

自分は評価だとだいたい半分より下に見られてしまうから評価主体のものは面白くはない

だから、会社は仕方ないとして、実績よりも評価が主体になってくるサークル活動やスポーツでも集団スポーツはやろうとしても結構すぐやめてしまう。

 

例えば、マラソンでよく入賞してた時ならあいたさんは全然練習してないのに入賞できてたとか、ポケモンで調子いいときなら全然努力してないのに入賞してたとか、貯金なら全然努力してないのに貯金があるとか、

練習(努力)してたしてないの部分が評価になってくるんだろうけど、

おまえらに一体何がわかるんだよ監視カメラでもつけてんのか」っていうか、

自分は努力してた部分を見せるのがへたくそで、サボってる部分をモロに見せてしまうから、

影である程度努力して(数値トータルでがそれなりのことをやってても)、表でサボってる部分を見せてしまうから、評価を得るのがかなりヘタクソなんだと思う。

自分が陰でどれだけ努力して実績を出したとしても、努力してたのかしてないのかの評価は、他人の感情とか印象で勝手に決められてしまう

自分をよく見せるのがヘタクソだから恋愛でも不利で、悪い部分ばかり表面に出てきて、実は強みもあるのに強みをあんまり表に出さないからモテなさに拍車がかかってた。

 

そんな中、ただ一つ言えることは、評価主体の会社だけで生きてなくて、

マラソン大会、ゲーム大会、文芸大会、ブログ収入、株、貯金管理といった、実績主体の取り組みもしてるのが唯一の救いだと思う。

評価だけの世界で生きてたら、相当な鬱になってただろうなと思うけど、

自分個人としては、自身の実績を上げて自己満足したくて、それを他人に認められて褒めて評価して欲しいわけではない=実績は重視してるけど、評価は重視してない、のに評価の取り組みも少しは切り離せなくて、評価が低いとなるとやっぱりつまらないとも思うのがジレンマだ


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