【順位】1/8 (22/80)
【時間】10時間55分30秒
【日付】2015/5/17
100㎞はこれが限界だった。
100kmで大きな成果を狙える才能はないと判断したため、
100kmを走ることはもう無く、100kmマラソンの成果はこれで終わってしまった。
100kmマラソンで入賞したという意味合いでは最低限の成果を残せたと言えるが、
100kmマラソンを走る人達の中で見れば、平地で10時間越えているのはイマイチだし、この大会の総合順位もイマイチ。
それでも、年代1位というカタチを残せたのはよく頑張ったと思う。
朝編
赤穂へ行ったのはこの大会が初めてだった。
地図では何となく道順を分ってはいたが、当初はまだガラケーを所持していて地図の位置機能もなく、スタートが朝5時。
ビジネスホテルを出たのが朝3時30分だったので、真っ暗で想定外にどこへ行けばいいのか分からなかった。
真っ直ぐ行けば、3~4kmといったところだったのに、徐に散策している間に5km以上走り回っていたと思う。
何とかして間に合ったと思ったら、
会場(公園)の表の門が閉まっていて、その場で泣きながら発狂気味に
思わず涙が出てしまった
凄いよく泣いたと思う。
会場が目の前にあるのに、門が閉まっているという最低最悪のピンチ。
スタート5分前くらいなのに到着できなくて、これは緊急事態だと思い、元カノに電話して
「助けて、ぎゃああああ」
となりながら、助けを求めながら会場の外周を全力疾走した結果。
その助けもあって、何とか到着はしたが、5分前くらいにスタートしてしまったとのこと。
しかし、受付の人曰く、非常に冷静に
「まだ大丈夫ですよ。落ち着いてください」
とのことだった。
よく考えると、閉鎖病棟、不良からの集団暴行、朝鮮人大騒音事件、三者尋問・警察尋問、集団〇〇事件、WCSの椅子取りゲーム事件、サブロー事件、キャリアバンク事件、カードぶちまけ事件、並にインパクトの強い事件だったかも。
その頃の走力(70km5時間50分並)で、この朝の出来事が無ければもう少しまともな成果を残せていたかもしれない。
大会編
実はそんなに書き残すべきこともない。
5kmを20周、2.5kmの中心ポイントを40回通過するのがこの大会の特徴。
ウルトラを走る人なら、中盤までの5km周回は大したことはないものの、
50kmを越えてからの5km周回はかなり重たくて、メンタルが擦り減る。
50kmまでは、余裕を持って100km10時間以内に出来ると思っていたが、
やはりその朝の事件があったために、元気が無くなってきてしまった。
100kmを20周する場合、「やり終えた」と思うのは、20周目ゴールの時ではなく、
19週目でもう同じ景色を見るのはこれで最後だと思えた時だった。