卑屈から他責を経て貪婪へ

「あれらの記事は削除した方が良い」と言われ、記事と共にその心まで消し去った気がする。

その心を「他責」と捉えていたけれど、その前は、今思い糺せば「卑屈」だった。

そして、現在自分の心は「貪婪」にある。

そう考えると、「他責」は状態の一つに過ぎなかったのかも。

しかしながら、この貪婪状態が最も危ない気もしてきたがw

「卑屈」か「他責」か「貪婪」のどれがいいのか。

結局、そんな心境の変化や、心理の本質はどうでも良くて、閉鎖病棟で誓った闘炎の意思を初志貫徹することが、自分のすべてなのだと思う。

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