昭和のレクイエム 参加

川柳市民講座、もとい市民大学文芸学科に参加した。
人が足りないかもしれないと言われていたため、半休を取って行くことに。

予想外に人はいたものの、
若い人はおらず、倍くらい上の年齢層(60over)が殆どだった。
約2時間半の講義でやや眠けも催したが、何とか耐えきった。←前半の方がやばかった。

 

感想

俳句の方は、感情を入れ込むべき(情景のみの描写は今市?)と聞いて、投句分の幾つかは失敗したなと思った。
川柳の方は、恋愛の川柳を描く人の内容で、時代毎での恋愛観にギャップがあるのと、やはり今日あったような文学芸術的な作句は自分には難しく、時事とアイデアで頑張るしかないかなと思えた。←メインは公募コンテストだからそれでいいかなと思えるけど。

後は、内容とは離れてる感想になるが…
(適当に書いてるので内容は無茶苦茶かも)

昭和…のレクイエムという題材だが、話を聴いていて、現代との時代差はかなり感じた。
今の文芸のコンテストは、若い層が応募し若い層(企業)が選をするカジュアルな公募コンテストと、やや高齢層(文芸団体)が選をする言葉の芸術としての文学大会の二種類に大別されるように思える。
マラソンで喩えれば、ウルトラトレイル(山中の50km)と、10kmロード(舗装コンクリート)くらい違いがある。
あーいや、昭和のレクイエム?分と、現代の句会と、現代のネット公募とでもそれぞれに違いがあるか。

選をする年齢層が違えば、よしとされるものにも差があり、世界観が全く違う印象を受ける。前者は時事を好み、後者は芸術的表現力のよいものを好む。

よって、その場その場に応じた衣替えが重要なんだろうけれど、乱雑で度量の低い自分には中々難しい。

ところで、この講座の目的自体は、歴史の保存のように思えたが、今日の講座や句会の年齢層を考えると、句会や文学大会はいつまで存続するか危ぶまれるなと思えた。

こういったものも、自分の努力を試す土俵の一つとしか捉えていない自分からすると、ただ見守ることしか出来ないかなとは思った。

単に、昭和のレクイエムがあるように、平成もレクイエムするということか。

帰り、コメダ珈琲で御馳走になったが、よく考えるととんでもない粗相をしてしまったかも。自分は口が災いすれば、手も災いする。

柳号?に関して

名前を使うのが一般的なので、勧めで下の名前を利用することになったが、実は下の名前はあまり好きではない。
職場や学校では苗字で呼ばれていたのもあり、やはり苗字の方がしっくりくる。よって、ネットなどでは今まで通り苗字を利用したいところ。
しかし、そうすると句会では名前、ネットでは苗字を利用するというややこしいことに。
苗字も名前も好きだったら良かったんだが、困ったものだ。

関連記事

追記と質問と自由コメントの欄